色んな人の色んな考えがあります。

  

だから、どんなに自分の考えを言葉にしても

理解してもらえないこともある。

 

言葉にするほど、相手に不信感を与えてしまうことだって・・・

 

通じないにはきっと意味がある。

それは違う世界に生きる相手か、

または、まだそこにどちらかが達していないか。

 

あることにこだわりを持って盲信してしまえば、

どんなにいいもの、いい教え、いい考え方だとしても、

その先の道を狭めることになる。

 

この考えはわたしのなかで揺るぎないもの。

だけど、それが逆にブレと捉えられてしまうこともある。

つまり、マヤ暦というひとつの指針となるものを持っている。

だけど、そこを妄信てしまっては意味がなくなると思っている。

 

だから、とても、もどかしい。

マヤ暦なすべてのことを教えてくれるけれど、そこはすべてではない。

そして、マヤ暦が何かを変えてくれたり、願いを叶えてくれるものでもない・・・

 

どんなときも、

何かを変えるのは自分であって、

願いを叶えるためにも行動が必要。

 

そう考えるわたしがいて、

そこを説明しても

マヤ暦をしているわたしがいたら

その部分をわかってもらいたいと思っても

言葉を尽くして伝えても

伝わらないこともある。

 

そして、わかってもらいたいと言う心は、

甘えであって、エゴ。

 

それは、マヤ暦だからではなく、

すべてのことに於いて・・・

分かる人にはわかるし

伝わる人には伝わる。

 

そして、もっと言えば

わかるけど受け入れたくないひともいる。

 

世の中のすべてがそんな風になっていて

だから、

理解しているし、

そうすれば一番いいこともわかってる

けどね・・・という

そんな事情の中にいる人もいる。

 

それは人だけではなく、

国と国との関係の中にもあるのかも・・・

 

そんな風にすべてが揃った状態にならないと

ことは動かない。

心も動かない。動けない。

それが不思議なタイミングで

それがベストなタイミング。

 

もっと言えば、

まずが、良い悪いって誰にとって?

というところになることもあるはず。

 

自分にとって良くても誰かにとっていいか?どうか?

すべての人にとって良いというわけではないことを知る必要があって、

良い悪いを判断するのは、

他人が決めることではないってことがとても重要。

 

常にジャッジしない心と

誰かのためという名のまやかしに

自分自身はまらないこと。

 

そこには

ひとりひとりが

自分の人生を生きていることを知ることも大切。